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外交の現場を行

◉第10回◉ 「釜山慰安婦像」とジャーナリズム

2017年の日本外交は、隣国・韓国から全権大使、釜山総領事が「一時帰国」するという波乱劇で、幕を開けた。1965年の日韓基本条約の締結から半世紀以上も経ち、日韓関係は新たな対立局面を迎えたようである。

日韓外交摩擦の舞台が、日本に一番近い韓国第2の都市だったのは、大いなる皮肉だ。この港町から日本近代の朝鮮半島進出が始まった。日韓の外交対立は今後、北朝鮮の核開発問題を抱える朝鮮半島の動向に、大きな影響を与えかねない。

朝鮮半島は「日本に突きつけられたナイフ」なのか、「大陸から突き出た滋養の乳房」なのか。

日本総領事館前の慰安婦像は、ジュネーブ協約(外国公館周辺の安寧保障)違反である。韓国政府側も否定しがたい事柄だ。韓国の市民団体が「慰安婦像」を立てるのは勝手だが、外交公館周辺は例外なのである。こういう健全な「国際常識」を保持するために、新聞・放送などジャーナリズム(時代の記録者)の果たす役割は、小さくない。これが本稿の眼目だ。

<現場①>龍頭山公園(釜山広域市中区光復洞)

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釜山市街地を眼下に臨む高台にある龍頭山公園の一帯は、かつて「草梁倭館」があった場所だ。1678年に開館され、約500人の日本人が居住し、外交・貿易の実務を担っていた。江戸時代、朝鮮半島に開かれた唯一の日本の窓口機関だった。

この公園にある釜山タワーの足元に、李舜臣将軍の銅像が立つ。豊臣秀吉による朝鮮侵略に抗して、朝鮮海軍を率いて戦った「朝鮮民族の英雄」である。現代の日本人でも、彼のことを悪し様に言う人はいない。自民族と自国のために戦った勇士を讃えるのは、世界共通の価値観だからだ。

昨年の大晦日。駐釜山日本総領事館前に、市民団体の手によって設置された「慰安婦の少女像」の歴史的意味とは何か。李舜臣の銅像のように、何世紀も歴史の風雪に耐えられるものなのか。そうではあるまい。史実に依拠しないことは、すでに、朴裕河「帝国の慰安婦」に詳しい。

韓国紙「東亜日報」(1月13日付)に載ったハ・ムンミョン論説委員(女性)のコラムは、出色の切れ味がある。彼女は「ベトナム大使館の前に、(無慈悲な)韓国男性の銅像を立てられたら、どうするのか?」と問いかけた。

「ベトナムはフランス、米国、中国などの大国と戦争をした国だ。我が国も参戦した。ベトナムの政治指導者の一貫した外交戦略は、過去ではなく、未来を向くようにするというものだ。韓国のベトナム参戦にも『誤った政治指導者の問題で、国民とは関係ない』という原則から逸脱しない。もしベトナム市民が韓国大使館の前に、ベトナム女性との間で生んだ子を捨てた韓国人たちを糾弾する像を建てた場合、今日の両国関係はなかっただろう」

韓国とベトナムが、同じ中国周縁部の半島国家ながら、対照的な歴史観を持っていることを、彼女は鮮やかに指摘した。「日本領事館前の慰安婦像」は、日韓関係を毀損するものであることを、見事に指摘したのである。ジャーナリストは、こういう文章を書くべきだ。

<現場②>放送ライブラリー(横浜市中区日本大通)

<現場②>放送ライブラリー(横浜市中区日本大通)

2017年、東アジアは本格的な時代の転換期に立っている。我々は日韓近現代史150年の知恵に学ぶべきだ。

横浜市のみなとみらい線「日本大通り」駅出口を出た所に、日本のテレビ、ラジオ番組を収蔵した「放送ライブラリー」がある。放送局の視聴覚図書館として、貴重な存在だ。私がこの場で紹介したいRKB毎日放送制作のTV番組「振り向けばアリラン峠を越えて」(90分)も、所蔵番組の1本だ。1987年に、同局の敏腕ディレクター・木村栄文が演出したドキュメンタリーである。

90分の番組は冒頭から、仰天するシーンで始まる。玄洋社の鬼才・杉山茂丸(小説家・夢野久作の父)の骸骨が出て来るのだ。東京大学解剖学教室の標本室にある。彼のデスマスクも出て来る。映像は山本権兵衛(元海軍大臣)への建白書と続く。杉山が「伊藤博文(初代韓国統監)などは、ロクな目に会ってない。(山本)閣下にもたたりますよ」と恫喝するのだ。

この番組の主人公は李容九だ。「日韓合邦」を推進した韓国側団体「一進会」代表である。そして、その息子(大東国男)と日本人妻を描いた迫真の記録映像だ。番組の取材力とバランス感覚に、私は舌を巻いたた。

歴史ドキュメンタリーだから、木村は史実をゆるがせにしていない。西尾陽太郎・九州大教授(当時)の著作を参照したと見られる。バランス感覚もいい。日韓を代表する知識人である山本七平(作家)と、鮮于煇(元朝鮮日報編集局長)の2人にコメントさせた。ベストな人選だ。

鮮于煇の発言がすごい。「韓国人は過去を振り捨てよ。恨みを忘れろ。恨みは自己を傷つける」と語るのだ。彼は1986年に、釜山旅行中に客死した。享年64。取材時期から見て、彼の発言は「遺言」に近い。ベトナムと対照的に、戦後の韓国人は「過去史」を対日外交の道具にしてきた。そういう意味で、鮮于煇の発言は「韓国史を切り裂く発言」だ。ちなみに、山本七平は「日本人は豹変する」と断じた。なかなかイミシンであると思う。

「慰安婦像」は、自己欺瞞の民族中心主義(エスノセントリズム)の反映である。日本側には、その点に関する認識が十分でない。日本側の「贖罪意識」が、日韓関係を好転させると誤信して来た。これが逆に、韓国側に対する無神経な発言が連発されて来た背景にあると、私には思われる。

<現場③>著作「韓国政治を透視する」「韓国有情」

<現場③>著作「韓国政治を透視する」「韓国有情」

「日韓の関係は、韓国が日本のたもとを捕まえようとし、日本が逃げを打つという関係になって久しい。『逃げ』とは相手をまともに見ようとしない行為である」と、書いたのは、かつて朝日新聞記者を務めた田中明(元拓殖大学海外事情研究所教授)である。1992年の著作「韓国政治を透視する」(亜紀書房)の一節だ。彼はその巻末で、「日本人を悩ませ、『嫌韓』『厭韓』感情を高まらせているのも、韓国政治の性格に由来する」と書いている。

毎日新聞ソウル特派員だった吉岡忠雄は、1991年の著作「韓国有情」(亜州)で、次のように書いた。「共感できることは溶け込んで一緒にやればよいし、なじめないことには距離を保ってながめておればいよいことだ」。

田中、吉岡は既に故人だ。日本の戦後韓国報道における「第一世代」である。彼らが書いた著作をいま読み返すと、そこには見識に富んだ韓国認識論、対処法が明記されていることに気づく。私は、日韓国交正常化50周年の一昨年、拓殖大学海外事情研究所「海外事情」5月号に、論評「ジャーナリストが見た日韓関係50年」を書いた。

それを再読して驚いたのは、私自身が「韓国の『国運の全盛時代』は数年前に終った」と告白していることだ。昨年から今年にかけての「韓国の政治経済危機」という現象も、予見されていたということだ。

晩年の吉岡忠雄は、釜山の私立大学で教壇に立って、若い韓国人たちに深い愛情を注いだ。彼が存命なら。「釜山慰安婦像」をどう見るだろうか。田中明は同じ頃、朝鮮日報の注文に応じて、「日韓関係はずるずると奈落に落ちて行くだろう、という予感に襲われた」と寄稿した。彼の予感は的中したが、寄稿文はなぜか、朝鮮日報に掲載されなかった。

黒田勝弘(産経新聞客員論説委員)は1970代以来、ソウル在勤を続けながら、韓国報道を続けて来た。彼は一昨年、「1945年以前の(日韓関係に)こだわることもない。(中略)日本は過去の反省、教訓の上で、いかに国際社会に貢献したかを語ることだ」と述べた(雑誌「SAPIO」2015年5月号)。全く同感である。

「謝るほど悪くなる」日韓関係に終止符を打つ時代が、「釜山慰安婦像」によって、いよいよ現実的に到来した。試練に立つ日韓関係。いまジャーナリストがなすべきことは何なのか。2年前の「海外事情」の拙論で、上記のほか、いくつかの観点を提示した。関心のある方に、参照していたければ幸いだ。

(文中敬称略)

下川正晴の顔写真 (2)  下川正晴(しもかわ・まさはる) 1949年、鹿児島県霧島市生まれ。大阪大学法学部卒。毎日新聞ソウル、バンコク特派員、論説委員などを歴任。韓国外国語大学客員教授、大分県立芸術文化短大教授を経て、文筆業。